水泡

とある曲を聞いて頭に流れた景色を言葉にして綴る場所。

コレサワ『タバコ』

 明けないでと願う夜ほど、朝を早く迎えてしまうのは何故だろう。もう僕には明日は必要ないのだと、何度この世の中に言い聞かせたって聞いてはくれないんだ。ボサボサの髪の毛を梳かすことも、一日中着ているパジャマも着替えることもなく、ただひたすら家の床に目線を合わせて、確実に過ぎ行く一秒一秒を数える音に耳を傾けて自分の気持ちを精一杯逸らした。そのうち日が落ち、夜がやってくる。

 あの日君は嵐のようにここへやってきた。忘れもしない。困っていた君を助けて、気づけば居候みたいになっていた。深夜、ギターを片手に誰かを思いながら歌う君の姿は綺麗だった。その次の日寝坊してバイト先の店長に怒られたって文句を言いながら帰ってくる君。そんな君の為に五分早めに設定した目覚まし時計も月日が経てば、慣れて結局意味なくなってしまったのも覚えている。

 タバコが嫌いな僕は君へ禁止令を出して、夏の涼しい夜、こっそり隠れてベランダで吸っていたのも知っているよ。タバコの匂いを運んでくる夏の風を少し恨んでいたけど、カーテンが揺れて見えた君がばれちゃったって苦笑いをしていたのも懐かしいね。あの時と同じ風が今吹いて、何故だか目頭が熱くなった。今君はそこには、ここには居ない。それがはっきりわかった。

 君は僕といるといつもギター片手に誰かを想いながら歌っていた。僕がいくら声をかけたって、歌に夢中で。歌の中に閉じ込めた誰かへの思いに夢中で、毎日、毎日僕は悔しかった。ここにいる僕をもっとちゃんと見てよって言った。そしたら君は笑ってはぐらかしたね。そこで僕は目に見えない誰かに嫉妬をしていた、届かない思いに嫉妬していたんだって知った。もっとちゃんと僕を見て、僕を知って。何度君に告げただろう。それが君には重かったのかな。あの歌に閉じ込められた誰かは僕ではなかったんだ。それがどうしても許せなかった。もっと僕を見ていて欲しかった。君が、君のことが好きになっていた。

  毎朝寝起きの悪い君はいつも体温が上がっていて、キスは短めじゃないと怒るってことも、君のことは一番近くにいた僕がよく知っている気がしていた。でもどこかで僕の知らない君もいるのだろう。バイト中やライブハウスにいる君。一番知っているのは僕の嫌いな、君の好きなタバコの名前。それを想うとやっぱり僕は君のことなんてそこまで知らなかった。もっとちゃんと君のことを見ていれば、もっとちゃんと話していればって今更気づいたってしょうがないのに。

 そんなことを思いながら、そろそろ動かないとなと鉛のように重い心を抱えた身体を起こした。殺風景な部屋に置いてある黒いテーブル。そこには君の忘れ物。僕が唯一知っている君の好きなタバコ。そしてライター。気づけば手を伸ばして火をつけてしまっていた。ふと君の匂いがした。僕が嫌いで君が好きな物を知りたくなって、一口タバコを吸ってみた。やっぱりむせてしまった。君が好きな理由が未だにわからない。君の匂いがするこの部屋に、君が残して行った、少し苦い匂いに君を思い出して、やっぱり今日も外に出れそうにない。帰ってきて。もっとちゃんと僕のことを見ていてよなんて言わない。君のことをもっとちゃんと見ているから、ずっと、見ているから帰ってきてよ。そんなの叶わないのは知っている、君が忘れたタバコはここじゃなくても、どこにでも売っているから。

 

「終」